生母による虐待、いじめ、未亡人、交通事故、リストラ、いろいろあって、今は主婦作家を目指す、アラフィーです。


by chiyoko1960

思いやりとは

父の死後、実家に行くと、ご近所の人から声をかけられる。

「何でもお手伝いしますから声をかけてくださいね」

大変ありがたい。ありがたいんですけど、大体そういう方々って、朝から晩までフルタイムで働いてたりして、助けて欲しくても声もかけられないのが現実。母も、戦前教育を受けた自主自立を重んじる人。大体亡父も、心臓が止まる前日まで自分で車を運転していたくらいだから、『SOS』を積極的に出せるような人間ではない。


私が女子大の寮で暮らしていた頃(かなり前の話ですけど)、ある老人から一枚の手紙がきた。

内容は、バスを使ってこの寮で降りる女子大生の方は、誰も年寄りに席を譲らない、というお叱りのお手紙。

その手紙を読んだ彼女たちの口から出た第一声が、


『譲って欲しいなら、そう言えばいいじゃない!』


同世代の彼女たちのこの言葉、今で言うなら『逆切れ』とも取れるこの反応に、私は若いながらも唖然とした。この人たちが今お母さんになって子供に『思いやり』を教えているのかと思うと、何をかいわんや、である。そこそこにレベルの高い女子大に通っていた学生がこれだもんね、という感じだ。

ちょっと想像力を働かせれば解ることだが、たとえば電車の中で優先席に座っているいかにも健康そうな若者だって、内臓疾患を抱えているのかもしれない、ということがある。やたらと譲ってくれと言うわけには行かない、やはり、こういうことは、親切をする側が積極的にその意思を表すべきものなのではないだろうか。


心の教育に関する市民へのアンケートで、最近の人に欠けているのは思いやりだ、という意見が一番多かったのが、これは自分に対して思いやりのある行動を示してくれる人が少ないと言う意味なんだろうなあと思う。そりゃそうだ。言われないと、席も譲ってくれないんだもん。


私なんか、なあ~んにも期待してないから、今の人たちに思いやりが欠けているとも思わないのだが、いわゆる、イライ(依頼)ザちゃんとか、イゾン(依存)ビ君にとっては、周囲の人たちが自分の思い通りに優しくしてくれないことをもって、『思いやりに欠けている』といっているような気がするのである。まったくの偏見だが。親切にされることが当たり前、で育ってきてるんだろうな。

『声をかけてくださいね』派の人々も、自分が不自由な立場になったら、きっと解ると思う。『依頼を依頼する』ことの大変さが。




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by chiyoko1960 | 2007-12-12 13:01 | 社会への一言