生母による虐待、いじめ、未亡人、交通事故、リストラ、いろいろあって、今は主婦作家を目指す、アラフィーです。


by chiyoko1960

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一年生の集団下校

新一年生だけの集団下校。

始めの一週間は学校の先生達が近所まで送ってくださり、そこまで母親が迎えに来ていた。ただ、ポイントポイントで危険なところがあるので一部可能な母親は学校近くまで迎えに行ったりしたいた。

子供達は、女子を先頭に整然と並んで歩いている


しかし、これは本来の子供の姿ではない。上級生の下校を見ていると、走ったり、ふざけたり、喧嘩したり、と本当に楽しそうに遊びながら帰っていくからだ。


そのうち先生方の送りもなくなり母親の迎えも減った。私を含め三人が、ま、ちょっと様子を見ますか、と言う気持ちで迎えに行ったところ・・・。

住宅街の静かな未知に入った途端、先頭集団の女子がいきなり全力疾走を始めたのだ!もちろん横に広がって、である。昨日までのおとなしい君達はどうしたんだ!と言いたくなるような変貌振り。

男子は何があったのだと言いたげにとりあえず走る。付き添いの私達は追いつかない。ああ、横道から車が来ませんように。曲がり角の向こうからでかい車が来ませんように。


迎えに来ていない母親の一人にその日の様子を話すと、

「車がぶつかってくると言うより、子供達のほうが車に体当たりしそうだね

と心配していた。やはりまだ、大人の監視が必要なのか?

私の教育方針は「転ばぬ先の杖」ではなく、「経験は最良の師である」、なのだ。大人がついてあれこれ指導してしまうと子供の生きる力が育たない。道路でふざけあいをする、、そこに車が来る、ヒヤッとしてそれからは気をつける。そうやって成長するのが本来の姿だとは思う。

でも心配なので、ついて歩く。干渉しすぎると考える力を奪うから、黙って見守っていると、ああ、このおばさん(お母さん)は、何をしても怒らないんだな、と言う風に受け取られて、大きくなって他人から注意されると逆切れするような人間になる。

難しいところである。これも、経済最優先で道路は全て車のもの、みたいな社会を作った政治家の責任である!!!


ところで、もっと心配なのは、大人がいるとおりこうさんなのだが、いなくなった途端に『変身』してしまうお子様達である。もちろん爆走集団の中にはわが娘も含まれている。なさけねえ。


翌日も一人の女子が、『走ろう!』と号令をかけたので、『ちょっと待て!』と声を張り上げた私。

走るなとは言いません。ただ、この道は車が来るということ、横道がいっぱいあって危ないと言うことを、いつも頭に入れておきなさい

次の日から誰も走らなくなった。しかしこれは本来の姿ではない。災いは忘れた頃に、である。


やらせで近所の人にやってもらおうかな、「ヒヤッ」と体験




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by chiyoko1960 | 2007-04-30 07:14 | 私流子育て

選挙

昨日は選挙だった。いつも娘を連れて行って、会場となっている学校の校庭で遊ばせて帰る。

会場の入り口に張り紙がしてあった。

身長110センチメートル以上のお子様は入り口でお待ちください。とかいうものだ。ああ、覗かれてしまうものね、でも、覗くかどうかというよりは読めるかどうかという問題だと思うけどね。

うちの娘はおもてでは大変聞き訳がいいので、すぐに外に出て待っていてくれたが、私の前にいた親子がごねていた。母親は、子供にも選挙のことを教えたいから、と食い下がっていたが却下されて、今度は子供を説得していた。

子供の頃からパソコンを習得しようとか、金融の知識をもとうとか、料理をさせようとか、、選挙の仕組みを知ろうとか、最近の教育って至れり尽くせりである。


大丈夫。私なんか高校卒業するまで包丁さえめったに手にしなかったけど、しっかり家族のために朝ごはん作ってますから。選挙なんて連れて行ってもらいませんでしたけど、成人してから今まで欠かしたことありませんから。


こういう教育で大事なのは、事前に知識を詰め込むのではなくて、親が不平を言わずに大人としての使命を果たす姿を子供に示すことだと思う。


それにしても秘密選挙とはいえ、子供がよそでしゃべるといけないから見せないという理由も悲しい。じゃ、あの出口調査とか言うのは何なんだろう(私は絶対に教えないタイプである)。

ところで、私の知恵遅れの妹にも選挙権はある。彼女は判断力はないが文字の読み書きはできるので、彼女が投票するときには私がそばについて『この人の名前をかくんだよ』と教えていた

選挙違反だというのは承知の上だが、彼女だって福祉に力を入れている議員さんを選びたいに決まっている・・・・・かどうか、わからない。意外と面食いだからな。

さすがに選挙管理委員の方々は苦笑いをしておられたそうだが、ダメとはいえない。


不正があるといけないと言って介助を断られた、ヘレン・ケラーの入学試験みたいだなあ。




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by chiyoko1960 | 2007-04-23 10:14 | 私流子育て

ほねほねワルツ♪

小児科医 tettyさん のブログで思い出した。

何かというと替え歌ばかりやっている我が家の娘に今大うけなのが、NHK教育番組『からだであそぼう』でやっている、♪ほねほねワルツ♪ である。

替え歌になる理由は、高齢ママの私がなかなか歌詞を覚えないためである。知らない骨の名前がたくさん出てきてそれだけでもわからないのである。だって、見たことないし・・・。

で、自分が知っている骨の名前を並べ立てて、それぞれの場所を触りながら、


♪鎖骨、肋骨、胸骨(ン、チャッチャ)
 肩甲骨、膝蓋骨
 ど~こ~かな~、尾骨~~~~♪


といいながら互いにお尻の骨を触るバトルがおきる、という展開になる。楽しいお遊戯、母と娘のふれあいである。


ところで私は悪乗りをする母親で、以前娘に『恥骨』について教えてしまったものだから、彼女は、

『♪ど~こ~かな~、恥骨~~~~♪ ってやってやって』

とせがむのだが、ちょっとそれは・・・。やめようね、大事なとろだし・・・。


というわけで全然覚えられないのである、ほねほねワルツ




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by chiyoko1960 | 2007-04-22 09:50 | 私流子育て

銃社会

銃による大事件がおきると、それを元に賛否両論が出てともかくも意見の交換ができ、なぜ銃規制ができないかがよくわかる、開かれた銃社会の国、アメリカ。

銃による一般市民への殺傷事件がおきても、マスコミや政府は個人的な恨みということで片付けようとして、結局は一部の人間たちだけが銃を持っている現実を容認している国、日本。

新聞の論調が、日を追って無難なほうへ向かっている。わずかに、『これは民主主義に対する卑劣な挑戦だ』などという苦し紛れの言い訳をちりばめながら(何が言いたいのかな)。

長崎市長を撃った犯人の弁護士は、

『何の恨みがあったのか全くわからない』

というコメントを述べている。つまりこれは個人的な恨みではないといいたいのだろう。

車のバンパーがどうの、融資がどうの、そんなせこい理由で暴力団の幹部が民間人を殺すだろうか。せいぜい足を狙う、とかの脅しでも十分なはずである。

天下のNHKは、彼のこのせりふをカットしている。この事件の謎がはっきりすると一体誰が損をするというのだろうか。きっと・・・と、これは暇な主婦の妄想である。

戦前のマスコミも、こうやってじわりじわりと規制を受けながら国民を洗脳していったんだろうなあ(実際には戦前の国民はそれほどバカではなかったのだが)、なんて暗い将来を描いている主婦の午後である。


小学校になったばかりの一人娘のことなど全然心配していない。



やめようかな、『子育て』ブログ(笑)。


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by chiyoko1960 | 2007-04-19 15:25 | ニュース

先日娘とわが町の駅の中を歩いていると、こんなことを言った。

田舎の駅で待っているのがどうしてつまんないのかわかったよ。お店がないんだよね。新聞とか売ってる店(いわゆる売店)ならあるけど」

子供っていろいろ見てるんだなあと思う。そういえばこの駅には風月堂もあるし文明堂もあるし携帯電話のお店もあるもんね。

あとは何処が違うかと聞いてみると、こっちの駅には改札の外に待合室というのがない、という。そうそう。ホームにはあるけどね。何しろ田舎の駅って、ホームで待っていても電車がきませんからね。

いや、きていることもある。ただし一時間止まったまま。中に入って待っていても構わない。待合室代わりなのである。便利なのだが、ドアが開けっ放しなので冬はつらい。実家の母は『あれだけは何とかしてほしい』というが、なんともならない。


その田舎で英語の授業をしていたときのこと。イギリスの駅のイラストを使ってゲームをしていて、一人の生徒がふと気が付いた。

『先生、改札がありません』

お、いいところに気が付いたね、だ。目的地まで切符を買ったかどうか確かめるなんてせこいことは西欧ではやらんという話を大学の講義で聴いたことがある。神様が見ているかどうかという、精神文化の違いらしい。


わが国でも田舎の無人駅には改札がない。ある日、車掌さんがホームにたって、降りたお客さんの切符を確認しようとしたら、普段は人のいい田舎のおばちゃんたちの顔が険しくなった。

何で無人駅から無人駅に行くのに切符が要るのよ!

とでも言いたげである。若い車掌さんも苦笑いしていた。彼女たちには順法精神がないのかしら。茨城といえば、以前臨界事故を起こした原子力処理施設で、またもやバケツを使って放射性物質を扱っていたそうである。

こちらは苦笑いではすまないが(私は笑ってしまったのだが)、根っこは切符代を踏み倒すのと同じような気がする。

父に言わせると、19世紀の精神のまま21世紀の文明を享受するからだ、とか。

平戸島出身の旦那が信号を守らないのも無理はないのね。


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by chiyoko1960 | 2007-04-15 10:05 | マイセルフ

競争心

娘もついに小学生である。

登校班は六人編成。一年生は三人。女子は娘だけで、後の五人は全員男子。女の子がいなくて寂しいね、というと、

「いいの、班長さん(六年生)が格好いいから」

と早速色気を出している。


髪が短くジーパン姿の娘。同級生の女の子はみんな髪が長い。髪の短い娘は上級生から早速『ちびまるこちゃん』といわれたらしい(きちんと反撃はしてきたそうだ)。

もちろん、娘も長い髪に憧れている。しかし、小学校に行ったら着替えも多い。髪は一人で結べるようになったら伸ばそうね、といってある。

可愛いスカートでは大暴れもできないだろう。ということで学校にはスカートもはかせていない

『○○ちゃんみたいにおしゃれしたいなあ』

という娘に、私は言い聞かせた。女の子は髪形や洋服で勝負しないほうがいいよと。競争相手になってしまってよいお友達になれないのだ。女って大人になってもそう。


おしゃれではかなわないけど、私は跳び箱ができる。髪の長さではかなわないけど、私は毎日絵日記をつけている。人とは違うところで自分らしさを磨いていけばいい。


あなたはそのままで十分可愛いの。可愛いお洋服を着たらそっちが目立っちゃって、あなたの可愛さが見えなくなるのよ』

可愛い服を買って上げられない親のいいわけである。でも、真実でもある。『パリの子供服』とかいう本に書いてあった。


入学式で在校生を代表して児童会長が祝辞を述べた。髪の短い賢そうな女の子である。

ほらほら、髪の毛が短くてもああいうしっかりして賢い子がいるのよね。私は隣に座っていた旦那に耳打ちした。流行に敏感な親ばかの彼は、最近になって娘の短い髪形を認めるようになった(私も結構親ばかである)。

それでもって、入学式の二日前に、パパが娘を散発に連れて行ってくれた。2センチ切ってもらいなさいと娘に言い聞かせたのに、旦那が2.5センチだと店の人に伝えてしまった。

ちびまるこちゃんになってしまったのは、その0.5センチのせいだと私は思う。



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by chiyoko1960 | 2007-04-13 23:02 | 私流子育て

ダウン症の妹と私の娘

十日間お預かりしていたダウン症の妹が実家に帰った。コミュニケーション能力のない妹は、働く場もなく、引き取ってくれる施設もなく、ずっと年老いた両親とくらしている。突然両親が二人とも死んでしまったら、妹はどうするのか。

とりあえずは我が家で引き取る。旦那にはそれは覚悟してもらっている。

娘にとっては体の大きな妹ができたようなものだ。

独りになりたい妹を付回してからかったり、人のタオルや歯ブラシを使おうとする妹を叱ってくれたり、妹のほうも歩いていて道草をする娘を心配そうに見ていたり、実に自然なのである。


娘には、特に妹に優しくしろとは言っていない。娘の成長過程において、障害者がいることに抵抗を感じることもあるだろう。そんなときは無理をしないで遠巻きにしてくれていい。

それでも、障害者を知らずに大きくなった人間よりは娘は幸せだと思う。


障害者が暮らしやすい世の中にするには、子供のうちから障害者に接しているのが一番だ。とにかく『慣れる』ことである。


『子供は純粋だ。障害者を見れば『どうして?』との疑問を抱くが、その疑問が解消されれば分け隔てなく接してくれる。・・・その疑問を心に残したままにすることが、、障害者に対する『心の壁』となってしまうのだ。』(『五体不満足』より)


妹と歩いていると彼女を不思議そうに眺めていく子供がいる。その子が母親に『あの人少し変だよ』と言ったら、母親はなんと言うだろう。

叱ってしまうと、そこで障害者とのつながりは絶たれてしまう。『心のバリア』は大人が作っているんだよね。いいんだよ、質問して!


養護学校ができて、クラスに必ず障害者がいるという状況がなくなった。いじめや校内暴力が問題化したのはそれ以来・・・のような気がする。

『目の前にいる相手が困っていれば、何の迷いもなく手を貸す。常に他人よりも優れていることを求められる現代の競争社会のなかで、ボクらはこういったあたりまえの感覚を失いつつある。』(『五体不満足』より)

障害者も老人もいじめられっこも男も女も、誰もが誇りを持って生きる社会をつくるためにも、教室に障害者がいることの意味は大きい。せめて能力差の少ない低学年のうちは、一緒のほうがいい。体育の授業が小さいうちは男女が一緒であるように。

『五体不満足』の乙武さんが杉並の小学校に赴任された。彼の願いをかなえるには一番いい職業だと私は思う。


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by chiyoko1960 | 2007-04-08 10:39 | 好きな本
従軍慰安婦とか、沖縄の強制自決とか、私は教科書ではなく一般の図書で学びました。

日本の政府として、『国は強制なんかしてませんよ~~~』と逃げの姿勢なのはまずいけど、教科書が全てではないので、現場の先生には頑張ってほしいと思います。


何しろ私が小学校のときの教科書には、邪馬台国すら載っていなかったのです(ちなみに戦後の教科書です、あしからず)。で、担任の先生は、黒板を使って、一時間かけて邪馬台国について教えてくださいました。

あれが、小学校で一番印象に残った授業だったなあ。


教科書を教えるのではなく、教科書で教える。教科書はあくまでも参考書。生徒たちが興味を持つようにもって行くのが先生の仕事。


戦争反対の意志を貫くなら、みんなが集まる場で国歌斉唱を拒む、というようなすぐにけちが付くようなやり方ではなく、教師の独壇場である教室で、

『教科書には書いてないけど、当時の政府が強制したという話もあるのよね』

とぼそっと言って、いろんな本を紹介してやるのがいいでしょう。生徒は個々の興味に応じて更なる発展学習ができます。


ところで、先日問題になったのは、高校の教科書。沖縄の集団自決がどうのこうの言う前に、受験の時期にかかるため、太平洋戦争そのものを勉強しない、そっちの方が問題です。


はっきりしている事実だけでいいから、最後までやってください。



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by chiyoko1960 | 2007-04-01 10:15 | 社会への一言